2017年5月13日土曜日

腐ったぼくでもだいじょうぶ。

デザインシステム研究スクーリング1日目。

デザインシステム研究はデザイン情報学科デザインシステムコース4年の必修科目。
そして内容は卒業制作を見据えての内容になっている。

去年、デザインシステムコース3年必修の「情報通信ネットワーク」のスクーリングでは(正確な人数は忘れたが)15人ほどの学生がいた。
最終日、来年また会おうね~!といってお別れした。
卒業制作展でバッタリ会った人も、また春にね、と言っていた。

デザインシステムコース必修のスクーリングは年に1回しかない。
つまり、今回会えない=今年の卒制はやらないと言っていることと同義だ。

さて。
朝、吉祥寺校についていつもの教室割の紙を見る。
そしてそれに驚く。

・・・なんで5人?

また来年って言ってたじゃないか。
また春にねって、言ってたじゃないか。
なのに、そんな言葉の主たちはいなかった・・・いたのは事前に連絡を取り合えっていたムサ友2人、1年間の休学を経て復活してきた旧知の先輩、そして情通ネットで「また来年ね」といった人、たった一人。


・・・またねって言ってくれた人。
できないダメダメなぼくを助けてくれた同胞。
脳みそパニックになっても、腐っても、スクーリングを乗り切れるように寄り添ってくれた人。
みんなみんな、どこに行ってしまったのだろう・・・

付け焼刃の事前課題を半分徹夜でこなし、朦朧とした頭で登校したぼくのゼリーのような脳みそが小さく罅割れた気がした・・・




なんて腐向けな書き方しておりますが。
ええ。
なんてったって絶賛腐ってたところから浮上したてですからね。
一度腐った人間は腐ったそぶりも見せなかった頃の自分になんて戻れなんですよ。

というわけで、べつに今まで隠してきたわけでもないけれど、ただ言葉にする機会もなかっただけだけど、今日は大々的に「ぼく、腐女子ですから!」「ぼくの思考回路はオタクですから!」と宣言をした。
それが今日のスクーリングのぼく的クライマックスだった気がする。

スクーリングでのディスカッションの流れの中で、気が付いたら自然と宣言していて、そんなこと言うぼくを先生含めみんな嫌な顔もしないどころか「新鮮で面白いぞ」みたいな態で受け流してくれて、なんだか嬉しかった。
なぜならば基本的にぼくみたいな人種は世間から「キモい」と蔑視されることも多いからだ。


デザインシステム研究スクーリング1日目の収穫。




ムサビ通信は腐女子を受け入れる土壌がある優しい沼だ。





と腐った駄文はこの程度にして、1日目のご報告。

みんなお互い見知った顔だけど、あらためて自己紹介。
その後、事前課題というほどのものではないのだけど、教科書を通読した中から興味をもったもの(キーワード)と、教科書以外で美術やデザインで興味のあるもの(キーワード)から、なにかテーマなりアウトプットなりを妄想してきてね、というのの発表。
例年人数の少ないこのスクでは多い方(らしい)の5人。
一人づつぽつりぽつりと話していく。
発表というよりも世間話でもするかのように話をして、先生も学生も世間話をするかのようにあーでもないこーでもない、それ面白いよね、それいいね、っていうかそれどこから出てきたの?なんて感じで砕けた会話が進む。
折々に先生が魔法の本棚から本を取り出して「こんなの?」って感じで学生の想像力に栄養を与えてくれる。
そんなカフェでのひとときのような時間の中で、卒制にむけての自分の中の興味や好奇心を探っていったのが午前中。

いいね、こういうの。
ぼく、大好きだよ!

お昼をはさんで午後は、午前中の会話を詩にしたためる。
そして、なぜか「ここはコミュデか?」と言いたくなる、グリッドシステムの簡単なレクチャーがあって、それをふまえてしたためた詩の文字をフォーマットに落とし込んでいく。


違うかもしれないけど、たぶん、こういうことなんだと思う。
デザシスに来る人のバックグラウンドを聞くと、あまり紙もののデザインをしてきたという話を聞かない。
というか、聞いたことがない。
理数系や工学系の人が多くて、ぼくみたいなへっぽこなんちゃって高卒みたいな人もあまり見かけない。
そして、コース指定科目「情報システム基礎Ⅰ・Ⅱ」でも、3年次必修の「情報通信ネットワーク」でも、紙面を扱うことはなかった。
紙面の設計って、ぼくはUXの基礎だと思っている。
何を伝えたいのか・・・ビジュアルヒエラルキー(視覚的な階層構造)
版面のアフォーダンス・・・ビジュアルウェイト(ビジュアル要素の見かけ上の重さ)
文字の流れ・・・イメージや文字が各種のページ上に形作る同線
それはそのままユーザーエクスペリエンスに直結するものだと思う。
プログラムやデジタル技術ですごくインタラクティブなことをするにも、卒制時にパネルを作るにも、紙ベースの設計ができなかったらデジタルでもできないと思う。
そして、そういった設計の土台であり、根本的な「基準」を自ら定めるのがグリッドシステムだ。
そういう動かないアナログなものが根底にあった上でのデザインシステムがありシステムのデザインとなる。
そんなことを先生は言いたかったんじゃないかな・・・そんな感じがして、ぼくはちょっと嬉しかった。
あと、ちょっとだけ、ぼくの土俵の中のことだったこともあり、情通ネットスクで「ググれないカス」になり下がり周囲に迷惑をかけまくった自分の二の舞にならなくていいという安堵を覚えた。
そして同時に、自分のグリッド(=興味)を弾くことへの興味に胸が沸いた。


話がそれたけど、そんなグリッドシステムからできたフォーマットを使って、作った詩をレイアウトする。
5人5様のレイアウトを見て、ちょっと感想とか言い合ったりして。
そしてまた午前中から詩を作ったりレイアウトしてみたりしてという時間を経て、なにか思いついたことはないか、変化はないか、新たな発見は気づきはなかったかなんてことを、またカフェで雑談しているかのように会話を重ねてゆく。
それはすごく楽しくて、腐りきっていた期間に置き去りにしてきたワクワク感が胃の底から湧きあがってきた。
そして、同時に自分の中にあった興味の本質が自分であまりわかっていないことを思い知らされる時間でもあった。


先生は本日のスクーリングの最後にこんなようなことを言った。
「特に何かしてこいとは言わないけど、でも、みんなこれから明日までにいろいろ考えるよね」
先生、わかってるね。
さすが先生だ。
だって、その通りだったから。
帰路を歩きながら、ごはんを食べながら、自室でつい最近まで腐っていたPC画面を見ながら、気が付けばぼくはぼくの興味とそれへの知識を反芻していた。


これを書くついさっきまで、ぼくは27歳になって自分の意思に関係なく踏み込まされ、なすがままに魅了された「日本舞踊」に関する蔵書を端から手にとってページをめくった。
そして、ぼくが愛してやまない玉三郎様のDVDのお気に入りシーンを何度もリピート再生しながら「日本舞踊とは」ということをぼんやりと考えていた。
自分の興味の原点を確認するかのような作業。
結局そこから明日のスク以降の何かを具体的に作業したわけではないけれど、本当にぼくは日本舞踊をわかっているのかという不安がほんの少し薄らいでいったことは収穫なのではないだろうか。


日本舞踊。いいよね。
ぼく、大好きだよ!


さぁ、明日は何をしよう。
どう掘り下げていったらいいのだろう。
その方法論は誰も教えてくれない。
だって、ぼくが興味を持っているものは、ぼくの中にあるものだから。
それはたとえ先生でも100%はわからない。
ぼく自身もまだ100%理解してない。
だから、その方法を探っていく。
探ること、それがデザインの過程だと、ぼくは思う。


お風呂の生ぬるいお湯の中で、生ぬるい思考に溺れてみよう。
そうしたらなにかわかるかもしれない。
でも、わからなくてもいい。
だって、日本舞踊が好きなことはもう確認できたから、ね。



・・・って、やっぱり文章が腐ってますな。
腐ってない文章の書き方が腐ってるけど、まぁ、これはこれで今の正直なぼくだから、仕方ないよね。
だって、ぼくはぼくだから。

勇利は言ったじゃないか。
「ヴィクトルはヴィクトルでいてほしい」って。
だったらぼくも腐りきるよ。

ぼくはぼくでいる。
たとえムサビ通信生であろうと、関係ない。
たとえ腐っていても、ね。

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